2008年に韓国で公開され、4週連続第1位、観客動員数230万超えと反響を呼んだ映画『美人図』。
韓国で有名な絵画「美人図」の作者であり、歴史から葬られた謎の天才絵師シン・ユンボクを題材にして、18世紀の朝鮮ルネッサンスが花開いた時代に女性がなれなかった絵師をあえて女性として描いています。
シン・ユンボクを演じるのはキム・ギュリ(当時は改名前でキム・ミンソン)、その相手役の鏡職人の青年ガンムをキム・ナムギルが演じています。
この作品の一番の話題は芸術的で美しい官能表現で称賛されたことです。
抗うことのできない運命から自由を求めて愛し合う2人の切なさが胸を締め付けます。
(画像はhttps://movie.daum.net/moviedb/main?movieId=46334より引用)
『美人図』あらすじ
18世紀、第22代王・正祖の下で朝鮮ルネッサンスが花開いた時代、早世した兄の身代わりに7歳で「男」となり、女人禁制の図画署に入ったシン・ユンボク(キム・ギュリ)。
きらびやかな仮面の奥に色と欲が渦巻く宮中で、天下の絵師キム・ホンド(キム・ヨンホ)の下みるみる頭角を現すが、女である正体を知られることがあってはならない。
しかしある日、ガンム(キム・ナムギル)という鏡職人と出会ってしまう。
はじめて知る女の悦びは、狂おしい思いとなって絵筆から溢れ、それを見た師ホンドは愛弟子の秘密に気付いてしまう。
ユンボクをめぐって吹き荒れる愛と嫉妬の嵐はやがて予期せぬ結末へと三人を導いていく。アジアドラマチックTVより引用
『美人図』見どころ
天才絵師シン・ユンボクは風俗画を得意とする画家で、当時の上層階級の風俗を背景に、両班(官僚)と妓生(キーセン:両班を相手にする遊女)を中心にした男女間の愛情を扱った繊細で粋な画風が特徴でした。
そのため繊細な画風が男性ではなく女性だったのではないかという発想から、シン・ユンボクを女性としてこの物語が生まれました。
シン・ユンボクは李氏朝鮮の22代国王である正祖の時代にチャン・スンオプと、本作にもユンボクの師匠として登場するキム・ホンドと共に、韓国では「三園」と呼ばれる有名画家で、それぞれが「園」の付く画号を持っています。
女性として描かれたユンボクが1人の青年に出会ったことから変わっていく心の変化、画風の変化を感じて欲しいところです。
鏡職人ガンムとの出会い
幼い頃から絵を描くのが好きだった少女は、7歳の時に自分の描いた画帖を兄の物だと思われ、上流階級の人たちから兄ユンボクには絵の才能があると褒め称えられて、この場で絵を描いてみろと迫られ、描けずに粗相してしまいます。
その失態はあまりにも幼い心に負担が大きすぎ、兄は自殺してこの世を去ってしまいます。
画帖の作者が娘だと知った父親は、代々画家を輩出するシン家を絶やしてはならないと娘(キム・ギュリ)にユンボクを名乗らせ、男として図画署(トファソ:宮中で絵を描く専門機関)に送り込み、今朝鮮で最も栄華を究める画家であるキム・ホンドを蹴落として、再びシン家の再興を謀ろうと目論みます。
着々とキム・ホンド(キム・ヨンホ)のもとで絵の実力をつけていくユンボク(キム・ギュリ)は王からも絵の腕前を認められ、風俗画(世間の日常を描いた風景画)を見たいと言われる程になりました。
風俗画を描くため、ユンボクは師匠と町へ繰り出しますが、たまたまユンボクの絵の才能で鏡職人のガンム(キム・ナムギル)を助けることになり、ガンムはそのお礼代わりに風俗画を描くために庶民の日常を案内することになります。
鍛冶師や機織りの家、婚礼の場、米を精米する場所や臼で大豆を引く場所、花一面の野などを案内していき、ユンボクにはすべてが初めて知る景色に心奪われて新鮮に映り、ユンボクの瞳はきらきらと輝きを増します。
自然と絵筆の走りも良く、次々と日常生活を画帖に写し取っていきます。
そんな中でユンボクの心を一番捉えたのは、ガンムが案内してくれた妓生たちの川での水浴びでした。
数人が川に入り上半身裸で水浴びをして、1人はブランコを楽しみ、他にも薄物を纏ったままで話に花を咲かせる者たちが新鮮に目に飛び込んできます。
そして自分とは別の方向からこっそり水浴びを覗き見している小坊主2人。
ユンボクの筆は思うようにその場の風景を描写していきます。
しかし、覗きは見つかってしまい、慌てて逃げるユンボクとガンム。
後ろからは小坊主2人も逃げてきます。
小坊主の勢いに橋から川へ落ちたユンボクを助けるガンムですが、ユンボクの衣は濡れたために透けてしまい、胸のふくらみに気付くガンムは思わずユンボクの胸を掴んでしまいます。
咄嗟にビンタされてしまうガンムですが、ユンボクが女と知ってからガンムの態度は変わっていきます。
今までは男としての図画署の画員を案内していたガンムですが、あまりにも長い時間を一緒に過ごしたために、それが女と知ってからは愛情に変わっていきます。
ユンボクは水浴びを見た時から、風俗画でも庶民の暮らしではなく、愛を感じる構図に惹かれていくようになります。
そしてとうとうユンボクは妓楼で秘かに行われているレズビアンショーを見るまでに性愛に心を奪われていきます。
そこからの帰りに図画署の仲間から因縁を付けられたユンボクを助けたのはガンムでした。
「ここは酔っ払いも多いし絡まれやすい、なぜ女の身で・・」
と言うガンムに、女ではなく男として生きているためにむっとしたユンボクは黙ってしまいますが、ユンボクの唇が汚れているのを黙って鏡に写して教えてくれるガンム。
慌てて汚れを手で拭うユンボクの顔の美しさにガンムは見とれてしまい顔が近づきますが、自分の唇がユンボクの拭った手の小指に触れてしまい、我に返ります。
鏡職人の青年が本当に彼女を愛してしまうという究極の指キスの瞬間です。
自由で天真爛漫に生きるガンムが心から初めて愛を感じたからこその、淡い恋心が詰まったシーンです。
近付いて行く2人
ある日、ユンボクはホンドと風俗画のために相撲大会を見に行きますが、そこには優勝して商品の牛を狙うガンムがいました。
ホンドは相撲図(シルムド)を描いていて、ガンムに「優勝したら商品の牛を渡すから終わるまで待っていてくれ」と言われても、自分の絵が描き終るとユンボクを呼んで機織りの家へと案内させます。
この時ユンボクはガンムから手作りの青い綺麗な筆をプレゼントされています。
日もとっぷり暮れ、図画署に帰るユンボクはホンドが描いた相撲図について尋ねます。
「人々は下を見降ろし、相撲する人たちは上を見ています。どうして二つの視点を描いたのですか?!」
するとホンドは「人は自分の見たいものしか見ようとしないからだ」と答えますが、ユンボクの目には入口に繋がれた相撲の優勝賞品の牛しかもう目に入っていません。
今まさにユンボクは自分の見たいものしか見えていない状態です。
ホンドに出かけてくると言い置いて、ガンムのもとに走り出します。
ガンムは小屋で鏡作りの用意をしています。
そこで一緒に鏡作りを手伝うユンボク。
2人の間に言葉はなくても、お互いの視線やかすかな動きからは愛情以外の何ものをも感じられません。
2人はいつの間にかお互いを深く愛するようになっていました。
赤土を足で踏んで捏ねるガンムを手伝おうと足袋を脱いで裸足で捏ねた土の中に入っていく時は、ユンボクの足しか映りませんが、それさえも官能的に感じられます。
とうとう2人の想いは一つに重なり、愛情は更に深まっていきます。
ガンムを愛すれば愛するほどに、ユンボクの筆は男女の愛を多く描きだします。
そこには、愛ゆえの切ない感情のやりとりと儚さに魅入られたユンボクの想いが込められていました。
愛を知ったからこそ、刹那の愛の中に輝く美しさをユンボクは絵として残していきます。
芸術的な官能絵巻
そして、一番の話題となった官能シーンの登場です。
ガンムは大商人から留守の間の倉庫の鍵を預かり、そこにユンボクを連れて入ります。
大商人の倉庫だけに、見たこともない商品で溢れかえるなか、ユンボクは白い鳩を見つけて鳥かごから「お逃げ」と出してあげます。
実はこの時ユンボクは自分の画帖を図画署で見られてしまい、それが男女の駆け引きであったり、後家が犬の交尾を見て下女に腿を抓られたり、妓生の水浴びだったりという画帖だったために、図画署の画員には「品性が感じられない」と叱られてしまいます。
遂には「このような淫らな絵を描くものは図画署から追い出す」と罵られ、わざと王の目に触れるようにさせられ、ホンドは必死に「これは風刺である」と説得を試みるも、王からもお叱りの言葉を受けたユンボクは居心地の悪さと自分にはない自由な生き方に憧れました。
ユンボクは鳥かごの中にいる鳩を出してあげることで、自分も自由になりたいという切なる願いを鳩に託したのではないでしょうか。
それから2人はふざけ合いながらも、大切な2人だけの時間を過ごし、倉庫にいた白馬に乗って出かけたり、同じ時を過ごすことの幸せを味わいます。
とうとう2人の蜜月の時間はクライマックスを迎えます。
愛するがゆえの自然な男女の営みに移っていきます。
男として生きてきたユンボクが女としての悦びを味わい尽くします。
どれだけお互いに求め合っても尽きることない悦びは最上の時間を2人に与えます。
芸術的な美しさにはエロスとは違う、完成された官能美と言うしか表現が見当たりません。
どれだけ愛し合っても足りないくらいの2人の愛情が映像を通して伝わって来ます。
翻る緑や赤の反物が天井から落ちてくる様は昔観た中国映画『ヒーロー』の映像美さながらです。
その中で繰り広げられる一糸纏わぬ激しく愛し合う男女の姿は究極の愛を教えてくれます。
そして外には出ずに天井付近を羽ばたく白い鳩。
ただ、ホンドがユンボクの後をつけ、覗き見た2人の愛し合う姿に嫉妬の感情を抱くとは・・。
2人の脱いだ靴の上を這う蛇の映像からも、ホンドの嫉妬がどれ程のものだったのか推測できて、背筋が凍る思いを味わいました。
『美人図』感想
ユンボクを演じたキム・ギュリはこの作品で初めてオールヌードを披露しました。
完成披露試写会に父親を招待して「よくやった」と言われたことが嬉しかったと言っていますが、父親としては複雑な心境ではなかったのではないでしょうか?!
キム・ナムギルは大胆な濡れ場があるために皆を和ませようと、撮影現場では日頃から裸(全裸ではさすがにないと思いますが・・)で走り回っていたようで、そのおかげで気負いなく自然なシーンを撮ることができたと言っていました。
いかにもお茶目なキム・ナムギルらしいですね。
ただ、彼はこの映画でどうしても官能シーンだけが話題になってしまうことが残念で、他のシーンにも注目してもらいたいと語っていましたが、人間なのでどうしても欲の方に目が行ってしまうのは仕方ないですし、エロスと言うよりも芸術的に仕上がっているので話題になることは避けられない事が事実です。
ユンボクがガンムの小屋を知っていたり、濡れ場のシーンが大胆すぎて、決して初めての体験ではないことから映画に映っていない間に2人に何があったのだろうと想像力を掻き立てられてしまいます。
最初はこの映画を観ていて、ナムギルいじめの映画だと悲しくなりました(それほどまでにナムギルが手酷い扱いを受けています)が、何回も観てみるとユンボクとガンムの愛の深さに胸が締め付けられるようになりました。
演技とは思えないほどに2人の愛する気持ちがひしひしと伝わってきます。
「本当の美しさを見せてくれ」
愛するユンボクのためにガンムは女性用の服を仕立ててあげようと思い立ち、生地を選びに行きますが、なかなか気に入るものがなく店の主人からも呆れられてしまいます。
この時、主人から勧められる生地に、ただただ首を横に振るだけのガンムの仕草が可愛くて愛おしくてなりません。
そこに現れた妓生のソルファ(チュ・ジャヒョン)から自分が袖を通したことがないという女性用の韓服を譲り受けます。
ソルファの想い人はホンドで、その服も3年前にホンドに貰ったものでした。
しかし、服を渡されてからホンドはソルファのもとに足を運ばなくなり、再び足を運んでソルファを抱いたのはユンボクとガンムの愛し合う姿を見た夜でした。
これはソルファの優しさなのか、罠なのか未だに理解に苦しんでしまいます。
ソルファの心情が複雑すぎて、彼女の本音が全く掴めないからです。
ガンムは喜び勇んでユンボクに服を渡します。
「本当の美しさを見せてくれ」という言葉と共に。
ユンボクはガンムのおかげで姿も心も女へと変化します。
ユンボクには生まれて初めての体験です。
完全に女性になったユンボクの姿に本人もガンムも喜びを隠せません。
そのまま2人は寺に参詣します。
2人がずっと一緒にいられるようにと、ガンムはお寺で祈ることにしたのです。
寺では良家の婦人たちが四方山話(下ネタ系)に花を咲かせたり、自分の妊娠を熱心に祈願する女性がいます。
そんな中でガンムは婦人たちに商品を売ったりしながらお寺の中を歩きます。
2人が目を止めたのは一枚の鏡でした。
ガンムはユンボクに語ります。
「これは業鏡台といって、閻魔様の持ち物で死んだらここに生きていた時の行いが映るらしい」
業鏡台とは日本で言う浄玻璃鏡のことだと思います。
ユンボクが鏡を覗き込むと、そこには兄の死や自分が男として生きるようになったことがまざまざと映っては消えていきます。
今女の姿をしているユンボクの男として生きなければならなくなった心の呵責が見せている幻だとしても、ユンボクには辛い思い出として映ったことでしょう。
好きな絵を描くことはできても、女として生きられず、ただでさえ女人禁制の図画署で女を隠して生きることはさぞかし辛く困難な道のりだったかと思います。
そして今、女として愛する人と一緒にいられる幸せをも感じているのでしょう。
ガンムの試練
幸せな時間は長く続かず、寺には取締りの役人たちが押し寄せます。
王命で風紀を乱す者たちを取り締まるために寺が狙われていたのです。
ガンムはユンボクを守って逃がしますが、自分は牢に繋がれてしまいます。
一緒に捕まった婦人たちはお金を渡して自宅へ帰ることになり、ガンム1人がすべての責任を負わされて処刑されることになってしまいます。
しかし、ホンドは愛するユンボクが悲しまない為に王へ減刑を諫言してあげます。
処刑当日、多くの人が見守る中にユンボクもいました。
ガムンは両手両足を縛られてその先には牛が四方向に歩き出します。
ガンムの下にきは鋭く切られた竹の筒がずらりと並べられ、竹筒は今までの処刑の血を浴びて黒くぬらぬらと光っています。
竹筒には蛆がまとわりつき、下には多くのネズミたちが潜んでいます。
罪人に八つ裂きの苦しみを与えた上で、縄を切り、竹筒の並んだ場所へ落とすという残忍な処刑方法です。
ガンムが苦しみ喘ぐ中で役人が縄を切ろうと刀を振り上げ、ユンボクが悲壮な叫びを上げた瞬間、中止を叫ぶ役人の馬が飛び込んできます。
王命で処刑は中止となり、命は助かったガンムですが、刑罰は与えられます。
ユンボクは一念発起して、ホンドへ女の姿で赴いて自分の身を捧げます。
心は自分にないことをホンドはわかっているだけに、乱暴にユンボクを抱きながら、
「私たちの間に絵しかない頃が幸せだった」
としみじみと語るホンドに対して、ユンボクは
「そのような事など最初からありませんでした。野心を持って弟子入りしたこと、ご存じだった筈です」
と無下に言い返しますが、ホンドは本心を吐露します。
「その野心さえも愛していた」
ユンボクを弟子として可愛がり、今では女性として愛してしまったホンドはユンボクを失いたくないと切実に心に刻みます。
減刑として、ガンムは巨済(コジュ)島へ追放されることになりますが、巨済島はとても遠く、四肢を引き裂かれそうになったガンムの体には負担がきつすぎ、とうとう途中で倒れてしまいます。
それを助けてまた都へと戻してあげたのはソルファです。
ソルファはガンムの道行を見守っていたのです。
愛の終わりは切なすぎて・・
ガンムが戻ってきたことを知ったユンボクは矢も楯もいられずにガンムのもとに走り出します。
そして2人で生きる決意を固めます。
ホンドには、今まで何もしてあげられなかったので、せめて絵を描かせて欲しいと言い、2人で紅白の梅の花を描きます。
ユンボクが紅梅を、ホンドが白梅を。
2人は本物の師匠と弟子として一枚の絵を完成させます。
図画署に入る時は、ホンドを蹴落として自分が朝鮮一の絵師になるつもりだったユンボクは、今ではホンドは本当に信頼できる師匠となっていました。
しかし、ホンドにソルファが甘言します。
「想い合う2人が出会ったなら、次にとる行動は2人で逃げることではないかしら?!」
思ってもみなかった展開にホンドは慌てます。
とうとう、ユンボクを失いたくない想いの強さに負けて、ホンドは行動を起こします。
もともと武官の家柄だったホンドは弓に毒を付けて逃げるガンムの背中を射てしまいます。
ユンボクと約束していた船着き場へと、ほうほうの体でやってきたガンムに、一旦帰ろうとしたホンドがやって来て「ユンボクを諦めれば解毒剤を渡す」と無理な取引を持ちかけますが、ガンムは思いの丈を訴えます。
「平凡でいいんだ。ただ一生を共にしたいだけだ。俺は半端な気持ちで愛した覚えはない!!偽りで接したこともない!!」
ホンドはホンドで「本心を偽るしかない苦しみがわかるか?」とガンムに迫ります。
掴みかかるガンムにホンドの手から解毒剤の入った瓶が落ち、そのまま転がって川に落ちてしまいます。
慌てて瓶を探しに川に飛び込むホンド。
そこにユンボクがやってきて、毒が体に回っていくガンムの姿に愕然とします。
そして、ユンボクの前で命を失ってしまうガンム。
泣き崩れるユンボク。
解毒剤を持って川から上がってきたホンドの目に飛び込んだのは、もう生きてはいないガンムと滂沱の涙を流す女性の姿のユンボクでした。
その後、図画署の画員でありながら女性だったことが判明したユンボクは王に咎められます。
本当のことを言うまでホンドとユンボクは尋問という名の拷問にかけられますが、ホンドは一貫して何も語らず、ユンボクはすべての罪と責任を自分が負う発言を繰り返します。
ホンドは王から絵で自分の本心を見せろと言われ、描いた絵を見せて自分の痴情がすべてを壊したのだと告白します。
ホンドは免罪となり、ユンボクは都から追放という罰が下されました。
都を追われて1人小舟に乗ったユンボクは、今は亡きガンムを想い一枚の美人画を書き上げます。
最後に「薄き衣の下、胸深く満ち満ちる愛を筆先に込めん」と書き上げ、絵を深い緑色を湛えた川の水面に流します。
川の緑の中に佇む小舟と流れ行く一幅の美人画が、ユンボクの絵への情熱の行き場と愛する人がいなくなった寂しさを否が応にも胸に訴えてきます。
『美人図』まとめ
主人公の絵師はずっとユンボクと呼ばれていました。
本当の名前は決して映画の中では出てきません。
彼女は女としてそれで平気だったのでしょうか?!
女なら自分の名前を愛する人に呼んでもらいたいと思うのではないでしょうか?!
そこが彼女の一番悲しいところだったと思います。
また、これだけの深い愛を持ちながらも、師匠ホンドの嫉妬と、妓生ソルファの歪んだ嫉妬心が2人を引き裂いたように思います。
ホンドとソルファが愛し愛されることを知っていたならこんなことにはならなかったでしょう。
この2人もまた本当の愛を知らない悲しい人物なのだと思います。
この作品では、キム・ナムギルの演じる純粋さと笑顔が私には癒しでした。
彼がいなかったらここまで悲しい物語を何度も観ることはできなかったと思います。
官能作品としてではなく、ユンボクとガンムの究極の愛の物語として観てもらいたい作品です。